雇われない女性たちの生き方(起業という働き方)

2017年1月12日木曜日

Eさん,キャスターのインタビュー(雇用されない女性たちの生き方.31)

4人目のインタビュー



(1)  Eさん(キャスター・41歳・未婚・独立10)
 中学時代からスポーツが大好きでスポーツキャスターに憧れていた。
大学時代に学生は不可であったキャスターのバイトの席を無理やり押し切りゲットした。
 

 その世界はレッスンをこなしているタレント事務所の人が多く皆、真剣であり、足の引っ張り合いであった。
 ここにいる大人達は大変で学生の自分のように「楽しいこと」という状況でないことに対し、少し恥じていた部分があった。

 就活でUターンをし、地元のFMラジオに入社。キー局ではない地方のキャスターはすべて企画、進行を任せられるのが自分に合っていた。
10年契約という新陳代謝が激しいメディアの世界に身を置き、周りを客観的に見続けていたことが、彼女の今に活かされているように思われる。

 彼女は現役時代に冠番組を持っていた。

そうなるには彼女なりのきちんとした戦略がある。他の冠番組を持つキャスターは過去の懐かしい音楽を熟知していて番組に活かしていた。

 が、自分は懐メロは知らない。そこで逆を考えた。
 

先物アーティストの情報を発信しようと決めた。
自信があるわけではないが、無理やりやってみるのが彼女の流儀らしい。


「何か武器を持っていないとダメだ。」
「それを深める。」そして
「変化しないと対応できない。」というフレーズがインタビューの中で飛び交う。
 10年の契約が終わり、独立した時に地元を離れ東京へ行こうかとも思ったが、
そこまでの能力は無いと自分で判断し「地元で基礎を築くと決断をした。」と振り返る。

そう決めると力を貸してくれる人も現れた。
マスコミの仕事は「待ち」だが自分から「取りに行った」。その甲斐があり、今の仕事量は以前の会社からの仕事が1だとすると、残り9は自分で直接取った仕事だそうだ。
 常に変化をしている彼女が帰路に立った時に気を付けることの一つは、「世間の流れを観る。」そして
「他人に出来ない新しいことを観つける。」と言うことだ。

面白いことにその時に不思議と協力者が現れる。


すでに若くはない自分が次に進むべき道は、キャスター経験を活かした「話し方講座」であり、交流会などで知りあった企業の担当者へ声掛けを積極的行い、研修オファーをもらうと言う。

Facebookでも明るいキャラクターが伝わるよう心がけ、そこからも仕事の依頼はある。
 自由であるか。の質問に「365日を自分で組み立てられるから自由。」

そして、独立して人間の軋轢がなくなったそうだ。今は同じマインドの人間としか仕事をしないし、人間関係は自分で作れてしまう。

 ただ、「常に危機感はある。しかしそれも大事なことで、毎日が背水の陣だ。」とも言っている。だからいい仕事ができるのだろう。
 自己実現について聞いてみたら「結婚していないからそこまで行っていない。
 早く結婚したい。

 そして子供を産み、お母さん業をすることで今までとは違う視野で広い仕事ができる。」と明るく答える。広い視野で物事を観る彼女にはすべてが仕事の種となる。

2017年1月4日水曜日

Dさんセレクトショップオーナーのインタビュー(雇用されない女性たちの生き方.30)


インタビュー3人目




(3)  Dさん(セレクトショップオーナー兼販売・61歳・既婚・子供28歳1人・独立15)


 地元の進学校を卒業後、東京の大学を中退。
親は公務員で固く、飲食店をしたかったが反対にあい、地元に戻り固い事務のアルバイトをする。

24歳で敬虔な家に嫁ぐがそりがあわずすっと「自立したい」と思い続け「嫁の世界」から脱したが実質12年かけて離婚が成立した。
 その間に兄が脱サラしブティックを始めることとなる。
兄から販売の仕事を手伝ってほしいと言われ、1年間修業のために西武百貨店の毛皮サロンでバイトを始める。

 ここで商売のノウハウを覚えたそうだ。
「高いものが売れれば安いものも売れる。」素直であり、仕事を知らなかったので恐れが無かった。また、兄の仕事を手伝うという目的もありバイトにも関わらず残業をし損得考えずに積極的に学んだことが今に活かされている。


 そのうちに兄の仕事は軌道にのり県内に数店舗、展開しはじめる。

しかしそれと同時に「金儲け」にシフトしていく兄のやり方が自分とは合わなくなり、
また、その数年前に再婚もしていたので、辞めることを決心した。しかし、顧客から「続けてほしい」と言う要望が多く、46歳で独立することとなる。



 再婚したご主人は、「クッション材になっている」と言う。
結婚に対する価値観が一緒で、朝の犬と一緒の散歩は1時間みっちり、一緒に歩くのが日課であり、癒しの時間なのだそうだ。
 以前は兄のところで働いていた時は、円形脱毛症や卵巣がんにもなった。
しかし、今は自分の店を自分のペースで廻し、勝手に集まるわがままな顧客と遊び心を持たせながら仕事することで、毎日休みなく働いているが、心が自由である。



 長いショップ経営で彼女なりのやり方は、「廻ればいい。儲けは考えない。」「自分の感性に合った方が来るから店は心地よい空間」「私、他の店のリサーチなんてしないの。

街の人ごみが嫌いだし、人と一緒に動くのは嫌い。一人でいろいろなことができるし、本能で動いている。」

 「数字に追われるとろくなことが無い。

あれもこれも仕入れて、と考えると面白くない息苦しい遊びにない別の店になる。

以前そうなったことがあったそうだ。

「ウチは、隙間産業なの。」と言う。

 「自己実現は?」の問いに「まだ途中!世の中知らないことばかりだし、自分のことで精いっぱいで、これから社会に恩返しがしたい」


今は小回りが利いてどうとでもなる。休みも自由に決める。責任は自分で取るがその方が楽だという。


2016年12月28日水曜日

キャスターCさんのインタビュー(雇用されない女性たちの生き方.29)



 9人の女性ミニ起業家インタビューの2人目です。


 (2)  Cさん(キャスター・44歳・既婚・子供8歳〜3人・独立18年中断13)

 短大から日銀へ。
そして大学時代にキャスターをした経験が忘れられず、NHKにオーディションを経て契約社員キャスターとなる。 
 26歳で結婚を機に退社し、民放リポーターとなり仕事を続けるが、夫の転勤で鹿児島から東京へ。
 子供を3人授かり10年間の専業主婦となる。
その専業主婦時代は当時流行っていたビーズアクセサリーを学び、ママたちに少人数のビースアクセ教室を開く。
 俗にいうサロネーゼであった。また彼女は子供の学校のPTAにも力を注ぐ。
会長を引き受け全力で役割や行事をこなし人の3倍は動いていたと言う。

そんな10年間を側でみていたご主人が3人目が2歳になると

「君はこのままでいいの?」

と聞いてきたという。
 子供の役員に力を注ぐ奥さんに何かを感じたのだろう。
「夫の後押しがあって気づいたのです。私は復帰してもいいのだ」と。



 そこから彼女は、即行動する。
後輩にフリーでキャスターになるにはどうしたらを聞き、タレント事務所に入りオーディションを受けまくる。
 ブランクがあり若くはないというハンデがあり仕事はすぐには決まることはなかったが、受け続けたそうだ。
 少しずつ、事務所からも仕事が入るようになると同時に、自ら動くこともしだした。
事務所が主催するワークショップ、ナレーション、司会などのセミナーを学び自分への投資を続けた。周りは若い子ばかりだったが、自分には結婚、子育てで他にも様々な経験をしてこの年だからできることがあると奮い立たせていたそうだ。


その後とあるセミナーでfacebookのブランディングのコツを聞き、実行している。
「毎日発信と自分の顏を張り付ける」この2点は守り続けているので、そこから仕事が来るようにもなった。
「今は、まだキャスターとしての地位はその他大勢となっているが、年を重ねて自身を客観的に見られるようになった時に、セルフブランディングができるのだと思う。」


 自由な時間で仕事がしたかったので今のフリーな仕事を選んだ。やりたいことを自分で決めていることが最大の自由だと思う。
 しかし、今の自由は主人が否定しないでいてくれ、子供の面倒も見てくれるから実現できていると思う。


ワークライフバランスは仕事が3割で子育てが7割の割合を自ら作っている。
自己実現ができていないと答えたのは、まだ全力で仕事をやりきっていないから。今は3人の子育てに力を注ぎたい。この働き方は自分でその配分を選べるからそこもいい。

手が離れたら、もっともっと成長したい。

2016年12月20日火曜日

情報誌発行のBさんのインタビュー(雇用されない女性たちの生き方.28)

さて、今回からは9人(Aさん~Iさんまで)のインタビューをそれぞれ書いていく。

但し、インタビューの中で個人を特定しまいそうな方もいたので
8人のインタビューを許可を得て、掲載することとした。

※注 インタビュー記事は卒論の2014年時点のものである。





(1)  Bさん(情報誌制作・41歳・既婚・子供9歳1人・独立3)

 大学卒業後、興味のあったTV映像関係会社へ就職しCM作りなどのディレクション、プロモーションという仕事を覚え5年勤める。
 その後大手アパレル企業のワンブランドの販売員となり、ディスプレイ、売り方、管理を教わる。

2年間の勤務で、全国にいる販売員の成績トップ10になったこともある。
その後結婚するまでの2年間は派遣会社の事務をし、子育てのため4年間は無職となる。

子供ができてからの仕事に対する変化としては「何かしたい」でいろいろやってきたが「誰かのため」という意識に変化した。
 その後、再就職活動をするが断られ続けつまずく。その時にママの情報が無いことに疑問を感じるようになった。

 そこで、地元のママの情報を発信しようと“紙媒体のフリーペーパー“を発行することとなる。



0からのスタートだが仕事としては、最初の職場である動画制作と同じであり、
 表現方法が紙か動画かの違いだけであった。
 また、NPOやお手伝いしてくれるママたちの5人で組織を作り、
デザインは外注し3ヶ月かけて仕上げていく。

 企業の広告収入で事業が成り立っているため営業をする。
闇雲に飛び込み営業ではなく、自社の情報誌に適した企業かを事前にリサーチをした。

 当情報誌にマッチするか見極めることをしていた。その後アポを取り訪問する。
その際も相手の利益を考えて提案することは忘れない。一度受けてくれると、そこから紹介を頂くようになり、1年契約としているので今では営業に駆け回ることはない。

 仕事も子育ても自由にできているのでワークライフバランスは、いいと思う。今は仕事も自分のパースでできているので子供の行事の参加も誰に気兼ねすることなく参加できている。情報誌は1年に3回の発行なので、子育てと家事をしながらこなせる。ただし、売上はあっても利益はわずかである。


 以前は主人が「一銭の徳にもならないことをしている」自分の仕事に理解を示さなかったが、2年目に大きなイベントを開催した。
 ママたちが子連れでも一人でも楽しめる一日イベントである。市の助成金事業を使い、初職での経験値を活かしたYuoTube動画で告知を呼び込み、見事2,000人を呼び込むことができた。このイベントを目の当たりにしたご主人はそれから理解を示すようになり、以前より夫婦仲もよくなったとのことである。


 自己実現も「できていると思う、それは、やりたいことができている状態であり、願いがかなっている。もちろん努力があってこそですが。」


 0からモノを生み出すことが好きなBさんは、次のことを考えている。それは、今の仕事を活かした女性活用事業を企画している。