雇われない女性たちの生き方(起業という働き方)

2017年1月26日木曜日

Gさん、ベビーマッサージ&食育インタビュー(雇用されない女性たちの生き方.33)

6人目のインタビュー


(6)  Gさん(ベビーマッサージ&食育・38歳・既婚・子供2人・独立3年)

 大学卒業後、大手アパレル企業の雑貨の企画部門に就職。転勤のため名古屋、
その後東京へ移る。 
2年間勤め、次の2年間は銀座のエステサロンに就職。

施術や身体のことなどここで学んだことは大きい。27歳になり9年間の遠距離の末、悩み続けたが、決断し実家と主人のある地元へ結婚のため帰る。

地元のホテルのエステで働いたが、出産のため離職。専業主婦となるが子供が9ヶ月のころからベビーマッサージを会得し始め、2人目が生まれた今でも学びと仕事と子育ての継続中。

 
1年ほど前から子供と一緒に仕事ができるママ向けのマッサージと食育の講座を絡めながら主催&講師業を始めた。
また、大学教授との研究で赤ちゃんがマッサージを施術した前後で、リラクゼーションを味わったか。という調査を現在進行中である。
施術の前と後とで舌の分泌の違いを計測することで、癒し効果があったかを検証する。彼女の講座に来る赤ちゃんにと母親にアンケートを取ること仕事で研究のサポートをしている。



ベビーマッサージの講座は自ら主催し、レストランと連携して少し収益もでる。
また、口コミで交流学習センターや保育園で声がかかり講座をする場合もある。ベビーマッージの際に使用するマッサージオイルは師匠である先生のオリジナルであり、講座で販売できる。物販手数料も入り、継続して購入する顧客もいる。


 現在、2人の子供とご主人の両親との生活で、家事も手を抜くわけにもいかないが、上手に時間を使い、自分の仕事と家事、子育てをこなす日常はフル回転で、スケジュール帳はびっしりである。


「自由ですか」の質問に、「Yes。スケジュールを自分で決められるのがいい。
そして「子供を学童保育に入れる必要が無いのがいい」と答えた。

学童保育に入れれば、もっと仕事ができる時間を増やせるのだが、家で迎えてあげたいからだという。自己実現の段階は、自己承認がやっとできたばかり。子供を育て上げないと、利益の出る仕事にシフトできない。月に30万円は稼げ、夫に頼らないくらいになれたら実現できたと思うのかもしれない。



 ワークライフバランスは、「掃除がしっかりできてないからな」と言いながらも「でもできていると思う。子供も自分のことは自分でするし、スキンシップは大事にしている。手作りで味噌も作るし、食事はしっかり作る。」

「欲を言えばもう少しゆとりが欲しいかも。」


 忙しい毎日をこなす彼女のこれからは、企業や病院で仕事をすることと、パパマッサージも広げていきたい。

2017年1月20日金曜日

Fさん,グラフィックデザイナーのインタビュー(雇用されない女性たちの生き方.32)

5人目のインタビュー。



(5)  Fさん(グラフィックデザイナー・40歳・未婚・独立17年目)

 デザイナーになるのが高校の時からの夢で、3者面談の時に「30歳で独立します。」
と言って京都の美大への親の許可をなんとか得て入学した。

 大学4年の時は就職氷河期で京都では仕事がなく、一人暮らしを継続することが出来ないので、地元に戻り印刷会社に入社した。

 その後、1年半で会社は辞めた。
デザイナーの仕事は夜遅くまでするのが当たり前だった。
 しかし、この労働時間と対価は合っていないと強く思い、ならば自分でした方がいい、と23歳で独立した。

当時若いこともあり、辞めた会社から仕事をもらうことも知らず、最初はショップカードを作りお店に営業したこともあったが、受注があるわけではなかった。

 そこで前会社の営業からの紹介で仕事をもらい始めたら、そこから横の繋がりができて広告代理店や印刷会社の下請けの仕事が入ってくるようになった。不思議と仕事が止まりそうになると、入ってくるようになって行った。



 最初は言われた通りのことだけをこなしていたが、リーマンショックで仕事が減り倒産する会社も出てきた。

 差別化しないといけないと自分に何ができるかを考えた。

丁度独立して10年経った頃だった。

紙媒体のオリコミチラシの仕事が多かったので、どうしたら集客できるか考えるディレクションするデザイナーになろうと決めた。

 ある時チラシの中にB4サイズで縦長のオリコミギリギリの物を入れた。そのイベント200名募集のところ2,000名が来ることとなった。

 ここから仕事のやり方を変えた。
 今までのものに新しい試みを付け加え、キャッチコピーまで考えるようになった。それはただの「デザイン性のあるおしゃれ」だけのものに「訴求効果」のある媒体へ変化していった。常に「消費者目線で捉えるようになった。



 今の悩みはPCが普及しすぎたことで2点困ったことが起きている。

 1つ目は、ネットでデザインを安く売る個人や業者が増え、デザインというモノが専門性をもたなくなり料金が下がってきた。

 2つ目は納期が厳しくなった(短くなった)いつでもネットが繋がり連絡が取れる状態なので、以前は時間がかかっていたことが(画像の添付書類化など)「今日の何時」と言うように変わってきた。

 
朝はゆっくり始め、夜遅くまで仕事する習慣は変わらないで時間は自由だ。そして仕事も選べる自由もある。やりたくない仕事は他を紹介することにしている。嫌な相手と仕事をしてストレスがたまることは避けたい。とにかく人間関係のわずらわしさが無い。



 以前は仕事が無いと不安に襲われ、就職情報誌を読むこともあった。ある時、就職面談しようとした時、神様がいるのか、仕事が入り忙しくなってきた。「今は無きゃ無いで辞める時だ。」そう素直に思えるようになった(あては全くないのだが)そう思うと気が楽になる。


 「自己実現はできているのかな。あまり考えたことが無い。」
 今後は今の仕事以外に、今までの蓄積された情報をまとめることを次の仕事をしてみようかと考えている。

2017年1月12日木曜日

Eさん,キャスターのインタビュー(雇用されない女性たちの生き方.31)

4人目のインタビュー



(1)  Eさん(キャスター・41歳・未婚・独立10)
 中学時代からスポーツが大好きでスポーツキャスターに憧れていた。
大学時代に学生は不可であったキャスターのバイトの席を無理やり押し切りゲットした。
 

 その世界はレッスンをこなしているタレント事務所の人が多く皆、真剣であり、足の引っ張り合いであった。
 ここにいる大人達は大変で学生の自分のように「楽しいこと」という状況でないことに対し、少し恥じていた部分があった。

 就活でUターンをし、地元のFMラジオに入社。キー局ではない地方のキャスターはすべて企画、進行を任せられるのが自分に合っていた。
10年契約という新陳代謝が激しいメディアの世界に身を置き、周りを客観的に見続けていたことが、彼女の今に活かされているように思われる。

 彼女は現役時代に冠番組を持っていた。

そうなるには彼女なりのきちんとした戦略がある。他の冠番組を持つキャスターは過去の懐かしい音楽を熟知していて番組に活かしていた。

 が、自分は懐メロは知らない。そこで逆を考えた。
 

先物アーティストの情報を発信しようと決めた。
自信があるわけではないが、無理やりやってみるのが彼女の流儀らしい。


「何か武器を持っていないとダメだ。」
「それを深める。」そして
「変化しないと対応できない。」というフレーズがインタビューの中で飛び交う。
 10年の契約が終わり、独立した時に地元を離れ東京へ行こうかとも思ったが、
そこまでの能力は無いと自分で判断し「地元で基礎を築くと決断をした。」と振り返る。

そう決めると力を貸してくれる人も現れた。
マスコミの仕事は「待ち」だが自分から「取りに行った」。その甲斐があり、今の仕事量は以前の会社からの仕事が1だとすると、残り9は自分で直接取った仕事だそうだ。
 常に変化をしている彼女が帰路に立った時に気を付けることの一つは、「世間の流れを観る。」そして
「他人に出来ない新しいことを観つける。」と言うことだ。

面白いことにその時に不思議と協力者が現れる。


すでに若くはない自分が次に進むべき道は、キャスター経験を活かした「話し方講座」であり、交流会などで知りあった企業の担当者へ声掛けを積極的行い、研修オファーをもらうと言う。

Facebookでも明るいキャラクターが伝わるよう心がけ、そこからも仕事の依頼はある。
 自由であるか。の質問に「365日を自分で組み立てられるから自由。」

そして、独立して人間の軋轢がなくなったそうだ。今は同じマインドの人間としか仕事をしないし、人間関係は自分で作れてしまう。

 ただ、「常に危機感はある。しかしそれも大事なことで、毎日が背水の陣だ。」とも言っている。だからいい仕事ができるのだろう。
 自己実現について聞いてみたら「結婚していないからそこまで行っていない。
 早く結婚したい。

 そして子供を産み、お母さん業をすることで今までとは違う視野で広い仕事ができる。」と明るく答える。広い視野で物事を観る彼女にはすべてが仕事の種となる。

2017年1月4日水曜日

Dさんセレクトショップオーナーのインタビュー(雇用されない女性たちの生き方.30)


インタビュー3人目




(3)  Dさん(セレクトショップオーナー兼販売・61歳・既婚・子供28歳1人・独立15)


 地元の進学校を卒業後、東京の大学を中退。
親は公務員で固く、飲食店をしたかったが反対にあい、地元に戻り固い事務のアルバイトをする。

24歳で敬虔な家に嫁ぐがそりがあわずすっと「自立したい」と思い続け「嫁の世界」から脱したが実質12年かけて離婚が成立した。
 その間に兄が脱サラしブティックを始めることとなる。
兄から販売の仕事を手伝ってほしいと言われ、1年間修業のために西武百貨店の毛皮サロンでバイトを始める。

 ここで商売のノウハウを覚えたそうだ。
「高いものが売れれば安いものも売れる。」素直であり、仕事を知らなかったので恐れが無かった。また、兄の仕事を手伝うという目的もありバイトにも関わらず残業をし損得考えずに積極的に学んだことが今に活かされている。


 そのうちに兄の仕事は軌道にのり県内に数店舗、展開しはじめる。

しかしそれと同時に「金儲け」にシフトしていく兄のやり方が自分とは合わなくなり、
また、その数年前に再婚もしていたので、辞めることを決心した。しかし、顧客から「続けてほしい」と言う要望が多く、46歳で独立することとなる。



 再婚したご主人は、「クッション材になっている」と言う。
結婚に対する価値観が一緒で、朝の犬と一緒の散歩は1時間みっちり、一緒に歩くのが日課であり、癒しの時間なのだそうだ。
 以前は兄のところで働いていた時は、円形脱毛症や卵巣がんにもなった。
しかし、今は自分の店を自分のペースで廻し、勝手に集まるわがままな顧客と遊び心を持たせながら仕事することで、毎日休みなく働いているが、心が自由である。



 長いショップ経営で彼女なりのやり方は、「廻ればいい。儲けは考えない。」「自分の感性に合った方が来るから店は心地よい空間」「私、他の店のリサーチなんてしないの。

街の人ごみが嫌いだし、人と一緒に動くのは嫌い。一人でいろいろなことができるし、本能で動いている。」

 「数字に追われるとろくなことが無い。

あれもこれも仕入れて、と考えると面白くない息苦しい遊びにない別の店になる。

以前そうなったことがあったそうだ。

「ウチは、隙間産業なの。」と言う。

 「自己実現は?」の問いに「まだ途中!世の中知らないことばかりだし、自分のことで精いっぱいで、これから社会に恩返しがしたい」


今は小回りが利いてどうとでもなる。休みも自由に決める。責任は自分で取るがその方が楽だという。